好きなものには夢中に、苦手なものは放棄

私は神奈川県立平沼高校で舞踊サークルや演劇サークルに入り、土・日は茶華道、週3回は学校が終わると息せき切って横浜駅まで走って、汽車に飛び乗り、銀座にあった「小牧バレエ学校」に通った。勉強は好きなものにだけ夢中になった。

超得意な国語の時間、親鸞聖人の『異抄』の授業の時だった。

 善人なおもて往生を遂ぐ
 いわんや悪人をや

有名なこの言葉を読んで、国語の先生が教壇から私をじっと見て言った時は武者震いがした。

「岸惠子さん、教壇に立ってあなたがこの言葉を説明してください」

私は嬉々として教壇に上がり、時間一杯、難解と言われる『異抄』の解釈をした。超優等生? 残念ながら違うんだな。

歴史も社会科も好きだったけれど、英語は苦手。数学に至ってはペケもペケ。

大好きだった素敵な数学の団琢磨先生には、お家に呼ばれてこっぴどく叱られた。咳き込みながら最後には笑って言ってくれた。

「好きなことをやれ。人生短いんだ。嫌いなものはやらなくていい」

私が社会人になった時、胸を病んでいた先生は、もうこの世の人ではなかった。

ことほど左様に、私は好きなものには夢中になり、苦手なものは放棄した。これは、一貫して私の生き方となった。

物語をつむぐ作家になりたかった私が、ひょんなことで女優という身分になった。大学まであきらめて、約6年間私は夢中で映画というものの虜になった。素晴らしい俳優仲間や、名監督、名画にも恵まれ、このまま、芸ひと筋の名女優になるのかな……と、ヒトは思ってくれたかもしれない。

私はそうはならなかった。

恋に落ち、映画も祖国も捨てて着いたパリは眩しかった。

24歳の私が受けた文化的、情緒的ショックはただならないものだった。

「カルチャー・ショック」なんぞという素っ気なくてお粗末な言葉では片付かない、深い狭間にはまり込んだ私はジタバタしてノイローゼになった。夫であったイヴ・シァンピはそんな私を、どんな時にも理解して、なんと寛容で心優しかったことか……。

その夫を離婚というかたちで退けた罰当たりな私は、世界に起こる様々に身を絡める生き方を、選んだ。