ユーモアと素晴らしい話術を持った、骨太そうな人柄に私は次第に惹かれていった。合作映画の撮影が終わる頃、彼が言った。
「好奇心の強いあなたに日本以外の国々を見せてあげたい。今の日本では、海外旅行が禁じられている。僕が招待する。アフリカや、中東、ソヴィエト連邦も見せてあげたい。地球の上は、日本のように平穏な国ばかりではないことを見せてあげたい」
私は、《これって、もしかしたらプロポーズ?》と思い、たぶん複雑な表情をしたと思う。その私を見て、彼は笑った。本気と、からかいの混じった複雑な笑いだった。
「フランスに、『卵を割らなければ、オムレツは食べられない』という諺がある。僕の招待でいろいろな国を見て、やっぱり日本がいいと思ったら帰ってくればいい。卵は二者択一の覚悟が決まった時に割る方がいい」
「そんな勝手をしていいの?」と私はびっくりした。
「あなたは自由なんだよ。あなたの意志を阻むものがいるとしたらそれはあなた自身だけだ」
私は恋に落ちた。
人間とは、哀しくもあり、不思議な生きものでもあるのだ。
あれほどの大決心をして、愛するものすべてを捨てて得た結婚生活に、私は一方的に終止符を打ってしまった。
離婚を決し、18年もの間、私のすべてを愛しみ育んでくれたイヴ・シァンピ邸を出たのが、また、1975年の5月1日だった。
私は熟慮もせず、我武者羅な負の情熱に突き動かされて、大事な2つ目の卵を割ってしまった。
何故か? それは『自伝』をお読みいただきたい。
これって少し狡いかな? 仕方がないでしょう。短期間に夜昼をおかず、不眠も疲れもさておき書き綴った長い長い物語を、かいつまむのは酷というものです。