家族に会えない時間を過ごして
私の自伝的エッセイの後半は、映画とジャーナリズムの交錯した物語になる。国際ジャーナリストとして中東やアフリカで取材を重ねるなかで、私は2度ほど生命の危険を感じる羽目に陥った。
そんな母である私の不在を、娘のデルフィーヌはよく耐えてくれた。愚痴も言わず、芯の強い、奥床しい女性になってくれた。
離婚当時、私が父親でなく母親だったので、日本の法律は娘に日本の国籍をくれなかった!!
かつて日本に滞在し、期限付きヴィザが2日過ぎてしまった時、出国審査で咎められ「刑務所行きだ」と言われた彼女は「こんなに愛しているのに、日本が私の国でないことは解った」と呟いた。私は胸が痛んだ。
この本の装幀や、挿画まで担当してくれた愛しい娘や、2人の孫に、私は3年近く会えていない。コロナの前には、「黄色いヴェスト運動」(2018年11月17日からフランスで断続的に続くマクロン政権への抗議活動)があって、私も彼等も旅行できないでいる。
忘れた頃、地球を襲うウイルスは、人間が新しいコミュニケーションや、他との交わり方を考える力をせせら笑いながら見守っているようだ。手強いコロナウイルス。世界中の人間が力試しをする時なのだろう。