いまや、友人のほうが風景印にはまっているのかもしれない。風景印と切手の図柄を同じにできると満足らしく、事前に風景印の図柄をインターネットで検索しておき、その図柄に合わせた切手を用意したりしている。それに加え、旅先にびっしりと切手が詰まった切手帳を持参するほどだ。

 

ばかげているけど、楽しい夜

ほかの人に話すと、「切手代を払ってまで、たかが消印をもらうなんて、お金と時間のムダ」と笑われる。しかし、コツコツと各郵便局をまわった末に手にした、その土地ゆかりの図柄を見ると、大げさかもしれないが《恍惚》という言葉が思い浮かぶ。

風景印には、もうひとつ楽しみがついてくる。それは彼女との語らいだ。宿で、50歳に近づいた女2人がお酒を飲みながら、その日に収集した風景印の品評会をしたり、一番のお気に入りを1つ選んで、その理由を真面目に語り合ったり。ばかげているようだけれど、楽しい夜だ。

ふつうなら、夫や子どものいない独身女のさみしさ、不安、健康や老いの心配などが話の中心になるのかもしれないが、その時だけは日頃の悩みを忘れられる。最近では、風景印収集ノートが5冊を超え、自分たちが死んだ後にこのノートを残された甥や姪は処分に困るだろうと、笑えるような笑えない話もした。

これは、私の生きるパワーの源だ。続けていくためにも、いまの経済力を維持したいので、健康管理と仕事は頑張りたいと思っている。収集時は、もっと歩いてみよう。好きなことで健康にもなれるなんて、ますます風景印が愛おしく思えてくるのだ。

 


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