老人の笑顔からもらった安堵と勇気

昔は舞台の脚本を書いていたその老人は、大病の後遺症で杖をついても足取りは覚束なく、店にはいつも見ず知らずの人に同伴してもらって入ってくる。そのほとんどが若い女性であることに気がついたフェルッチョに「あんた、歩けないってのは嘘だろ」と問いただされて、二人で口論になった場面に居合わせたこともあった。つましい生活を支え合ってきた妻には先立たれ、ドイツで家族と暮らす息子は滅多にやってこない。

ひとりきりの老人の心の拠り所はフェルッチョの店だけであり、毎回そこで彼が頼むのはイタリアにおけるおふくろの味の定番であるトマト味のパスタだった。グラス一杯の赤ワインとパスタで満腹になると、老人はフェルッチョと口の悪いやり取りを交わし、大声で笑い出す。普段はふてくされてばかりいる老人が、子どものように楽しそうに笑うその顔を見ていると、こちらまで無性に嬉しくなってくる。

世の中では無垢な子どもたちの笑顔が平和と幸せの象徴のように形容されるけれど、何十年もの人生において酸いも甘いもさまざまな経験を経てきた老人の、それでも人生を謳歌しているかのような天真爛漫な笑顔は、少なくとも私にとっては、安堵と勇気を与えてくれる圧倒的な効果があった。どんなつらさや苦しみを経ても、人というのは人生の終盤においてこんなふうに笑えるものなのかと思うと、元気になれた。

フェルッチョのメールには、老人が今では入院生活を送っていると添えられていた。

「店が閉まりそうなことを彼が知らなくてよかった」とあり、「でも週に一度はトマトのパスタを作って届けているよ、私もあいつの楽しそうな顔が見たいから」と結ばれていた。