震源地は東京から世界に

また世代によって、スニーカーとの距離感が違うのも事実だろう。たとえばポスト団塊ジュニア世代ど真ん中である1978年生まれの著者は、NBAや「エア マックス95」を核としたかつてのブームを経験した世代ということもあり、現在進行形である今の「第三次スニーカーブーム」を受け入れつつ、時に違和感を覚えながら、大きな波に乗り続けてきた。

なお著者が5年前に書いた『東京スニーカー史』(立東舎)はタイトル通り、東京での話にフォーカスした。それは1990年代、日本独自の編集力やリサーチ力、そして日本人ならではの細部へのこだわりが、世界に先駆けてスニーカーカルチャーを創生したことに相違ないからだ。

しかしその時代からは20年ほど経ち、その震源地は東京から世界へと、既に移っている。

では現在、足元で起きているスニーカーブームはかつてのそれとはまったくつながりのない、単なる一過性のバブルなのだろうか? カルチャー的に見て軽薄なものなのか、それとも価値あるムーブメントなのか? もしくは世界的に広まった、不平等や格差の象徴なのか?

そうした疑問への答えのいくらかは著書『1995年のエア マックス』(中公新書ラクレ)に記したが、今も膨らみ続けるマーケットの到達点を見定めるには、もう少し時間がかかるのも恐らく間違いない。

※本稿は、小澤匡行『1995年のエア マックス』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

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ファッション界を席巻するスニーカー。人気アイテムは国境を越えての争奪戦が起き、定価の数十倍で転売されるようになったが、著者は「ターニングポイントは日本で大ヒットしたナイキ『エア マックス 95』だった」と指摘する。NBA、ヒップホップ、裏原宿、SNS――。スニーカーの先に、世界はある!