作者の”心の耳”の感度の良さに目を瞠る
昭和10年生まれの島谷もち子。本当は「まち子」だったのに、役場に届けるとき「ま」と「も」を間違えちゃったのだ。そんな「おもちさん」の82歳から84歳の日々を描いた小説が、朝倉かすみの『にぎやかな落日』だ。
老老介護の果て、連れ合いの勇さんが特養に入ってしまってから一人暮らしになったおもちさん。東京で物書きをしている長女のちひろは毎日2回電話をくれるし、長男の嫁のトモちゃんも週に一度は様子を見にきてくれるけれど、やっぱりさびしい。そんなおもちさんが酷い風をひき、ついにダウン。精密検査の結果、糖尿病や大動脈瘤や血栓症が発見され、おまけに介護認定調査では要介護2に認定されてしまう。
おもちさんの老人としての現在進行形の日々を描く中、結婚前の出来事、賑やかで楽しかった親戚づきあい、新婚当時、勇さんが運転するオートバイに乗って大きな流星が出てきた方角に向かって走った日といった過去の幸福な出来事の数々を挿入。〈ンー、「今」がずうっとつづくなんてこたないよネェ。けど、「今」を「今」だと思える「今」は、そう思えなくなるときまで、いつまでも、ずうっとつづくのではないか〉、そんな「今」の連続が人生であることを、しみじみと了解させてくれるこの小説を読むと、作者の“心の耳”の感度の良さに目を瞠るはず。
ひとが老いるということに対する細やかな描写。年をとった人間の気持ちの理屈を丁寧に汲み取るエピソードの数々。時に朗らかな笑いを生むおもちさんのキャラクター造形。デビュー作『肝、焼ける』以来、作品世界から聞こえてくる声に耳をすませて文体を作ってきた朝倉かすみが、この作品でどんな声を聞かせてくれるか。読めばおもちさんを好きにならずにはいられない、その声を楽しみに本を開いてみてください。