「初めてお皿が割れた時の喜びは、今も鮮明に覚えています。」(写真提供:日立建機)
2000年のシドニー、08年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロに続き、5回目のオリンピック出場したクレー射撃の中山由起枝さん。夏季オリンピックで5回もの出場は、柔道の谷亮子さんと並び2人目。娘を育てながらアスリートとして世界を舞台に戦う日々は。2021年1月のインタビューを再配信します。(構成=篠藤ゆり)

ソフトボールからクレー射撃の世界へ

2020年7月、本来なら私はクレー射撃の日本代表選手として、5回目のオリンピックに出場していたはずでした。私はこの東京オリンピックを自分にとっての集大成と位置付けていたので、新型コロナウイルスの世界的な流行で開催が延期と決まった時は、正直、大きな喪失感がありました。でも、「中止じゃなかったんだから、よかった」と気持ちを切り替えて、今は夏に向けて準備をしています。

私がクレー射撃に出合ったのは、18歳、高校3年生の時。それまでソフトボールをやっており、高校時代はキャッチャーとしてインターハイにも出ました。そんな私にクレー射撃をやってみないかと声をかけてくれたのが、現在所属している日立建機です。

それまでクレー射撃という競技すら知らなかったので、正直「なぜ私?」という感じでした。なんでも、動体視力や瞬発力、集中力などさまざまな条件から絞り込んでいったら、私に辿りついたそうです。

お話をいただいたのは夏頃。当初は大学進学を希望していたので断っていましたが、熱心なオファーと、ちょうどアトランタオリンピックの年で、「クレー射撃を始めて3年の選手が出場した」といった話を聞いていくうちに、徐々に気持ちが動いていきました。

決め手はオリンピックのビデオです。クレー射撃は空中に向けて飛ばされる直径11cmの素焼きのお皿(クレー)を散弾銃で撃ち落とし、割った枚数を競うのですが、こんな競技があるのかとびっくり。それまで団体競技に身を置いてきましたが、個人競技でも競技者であることに変わりはないという恩師の勧めもあり、未知の世界に飛び込む決心をしたのです。