紆余曲折を経て、1966年、ポップス系の歌手ではなく、後に「演歌」と呼ばれるようになるジャンルでデビューすることになりました。でも、いまでも自分のことを演歌歌手だとは思っていません。僕は「流行歌歌手」なんです。

そういえばデビュー後に、歌番組の現場に来ていたジャニー喜多川さんから、「僕のところに来ない?」と誘われたことがありました。すでに別のプロダクションに所属しているのに変なことを言う人だなと思ったのですが、その後親しくなって交流を深めました。知り合う人たちのキャラが濃くて、みんな情熱的で……。僕の歌手としての歩みは、歌謡界の盛り上がりともにあったのですよね。

 

飛ぶ鳥を落とす勢いでスターダムを駆け上った

――66年、18歳の時に歌った「女のためいき」が80万枚を超える大ヒットとなり、翌年には「命かれても」、68年「花と蝶」がミリオンセラーに。そして同年、『紅白歌合戦』に初出場。69年、「港町ブルース」で日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞……と、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでスターダムを駆け上った。


成功するために相当な努力をしてきたのでは、と問われても、正直なところ努力したとは思っていません。とにかく目の前のことで毎日精いっぱい。さらにいうと、僕は「努力って、重要なものなのだろうか」と疑問に思うのです。だって「努力すれば報われる」とよく言われますが、成功が保証されているわけではないし。

じゃあ、成功するためには努力以外の何が必要かという問いにもうまく答えられません。僕の場合は、目には見えない人の縁があったこと、それから時代に応援されたということが、ありがたかったとは思います。

いまになって思うのは、自分には、歌によって人の心に寄り添ったり、元気づけたりするという使命みたいなものが与えられたのかなということ。ファンの方から「森さんの歌を聴くと、家族みんなで歌番組を観ていた頃にタイムスリップして、あたたかな気持ちになります」なんて言われると、歌い続けてきた甲斐があったなと感じます。

〈後編につづく