親の心子知らず、子の心親知らず
「ヤマザキさん、よく親族のことをあからさまに漫画やエッセイのネタにできますね」というようなことを同業者に言われたことがある。確かに私は母のことも、イタリアの家族のこともエッセイや漫画の題材にしてきたし、今回の本に至っては息子の生き様がネタになっている。
でも、私にはありのままで生きている彼らの実態を暴いているという感覚はないし、後ろめたさもない。母も姑も「こんなことまで書いたりして恥ずかしい」などと文句を吐露しつつも、他人事のようにゲラゲラ笑いながら面白そうにそれらの書物を読んでくれたのは嬉しかった。
今回は、穏やかさとは縁遠く、予定調和も何も許されない生活と向き合わされてきたなかでの、息子のタフさと諦念を思い出せる限り綴ったつもりだったが、編集者から依頼を受けて息子が書いたあとがきには、彼なりにさまざまな不条理や忍耐に対してつらさや悔しさを抑制し続けていたことが赤裸々に語られていた。
親の心子知らず。子の心親知らず。
それもまた文章でこそ露わになる記憶のかたちだろう。ちなみにあとがきはこんな感じで締め括られていた。
「息子にとって誰よりも理不尽な母……でもそのおかげでこの先も、たったひとりきりになったとしても、世界の何処であろうと生きていけるだろう」
文章は脚色が許されるぶんだけ寛容だ。ろくな写真を残してこなかった自分に対し一瞬焦った私ではあったが、このひとことで落ち着いた。