「最後のチャンス」だと決心して移住

「跡地は、富良野塾に関わった方たちの聖地です。大切にしなければと思いました」

(左)富良野塾を設立したのが1984年。塾生自らが建てた2階建ての建物は彼らの宿泊施設だった。いまは大塚夫妻が住む。(右)敷地の入り口には「富良野塾」の看板が。私有地なので一般の人は入れない(写真:『レストラン「ル ゴロワ」のレシピから-季節のごはんと暮らし方』より)

当初は牧場として整地し、東京と北海道を行ったり来たりの生活。牧場とお店の両立に悩んできて、今年に入ってようやく北海道移住を決心した。

「20代のときからの夢でしたからね。いままで何度もトライして、うまくいきそうになっては、何度も振り出しに戻ってきました。本当に情けない私たちなんです。いま50代後半。体力的なことを考えても、これが最後のチャンスだと決心しました」

決めたら、行動は早かった。

神宮前のお店を明け渡す調整をし(これがまた大変だったのだ)、5月いっぱいで閉店。最終営業日の3日後に富良野へ引っ越すというハードスケジュールを敢行。ただ、あとに次の店が入るまでの3カ月間は「里帰り営業」と称して、シェフと敬子さんは北海道から食材を担いで戻り、月に1週間ほど店を開けた。毎回、あっという間に満席となっていた。

8月後半、里帰り営業中のある日。1週間に3つの台風が北海道を直撃した。

敬子さんの携帯電話が鳴った。「誠さん」からだった。台風の影響で、富良野塾跡地の近くを流れる小さな川が氾濫したという。牧草地に水が流れ込み、物置小屋も、まとめておいた牧草も流されている。山からの土砂で、跡地への入り口の橋は崩落。そこから家までの道は瓦が礫で埋め尽くされた……。

記事冒頭に掲載された写真を見ていただきたい。夏のきらめく太陽のもとで牧草や薪を集め、十勝で預かってもらっている馬たちを迎える準備を始めている。

写真の左端に写っているのが、「誠さん」= 東誠一郎さん。富良野塾の卒業生で、いまは現役の俳優兼「新生ル ゴロワ」の強力なスタッフだ。牧草地の開墾をはじめ、倉庫を建てたり、ログハウスの修繕をしたり。ここでの生活全般を支えてくれている。

「大切なスタッフであり、私たちの生活の師匠でもあるんです」。

シェフと敬子さんは絶対の信頼を寄せている。夫妻が留守の間、彼が跡地を守ってくれていた。

誠さんは、台風が過ぎた後、写真に写っている牧草地が湖のようになっているのを見て愕然とした。家は少し高台に立っているので、どうにか無事だった。コンクリートを土台にした物置小屋が流されたのに、木の柱を埋め込んで建てた馬小屋が無事だったことを誠さんと仲間たちは不思議がった。