次男・豪太さん(左)とともに約150mの聖火リレーを完走。実物と同じ重さのトーチを手づくりし、坂道を歩く練習もしていたという

入院中はコロナ禍で面会制限があり、家族とも会えませんでした。それに動けるようになってからも、麻痺が残っているので体のバランスが取れない状態が続いて。でも、気持ちが落ち込むようなことは一度もありませんでしたね。

というのも、すでに聖火ランナーの話をお受けしたあとだったので、どうしたら歩けるようになるかだけを考えていたんです。難病に打ち勝ち聖火を運ぶという具体的な目標が、リハビリの一番の励みになりました。そのおかげで回復も早まったのかもしれません。やはり人間は、何か目標があると力が湧いてくるものなのでしょう。

 

99歳でスキー滑走をした父の姿を見て

私は若い頃から世界中の山に登り、その斜面をスキーで滑ってきました。体力の衰えを感じてプロスキーヤーを引退しようと考えたのは50代の半ばです。その後はやりたいこともなく、講演会やパーティなどで勧められるまま暴飲暴食を重ね、いつしか立派なメタボ体形になってしまいました。恥ずかしながら、一時は標高500mの山ですら途中でギブアップしてしまったこともあります。

そして、奇しくも長野で冬季オリンピックが開かれた1998年のある日のこと。突然、心臓の痛みに襲われました。病院で検査すると、高血圧、高脂血症、糖尿病の疑いなど、生活習慣病のオンパレード。当時、私は65歳でした。

「このまま放っておけば3年以内に命の危険もある」。医師の言葉を暗い気持ちで聞きながら、人間とは目標を失うとダメになっていくものだと、つくづく思い知りました。そこで私は65歳にして、新たな挑戦をしようと決めたのです。