作家でありながら「対談の名手」とも言われる五木寛之さんは、数十年の間に才能豊かな女性たちに巡り合ってきました。その一期一会の中から、彼女たちの仕事や業績ではない、語られなかった一面を綴ります。第二回は森瑤子さんです。
私は森瑤子という女性を知らない
人は他人の内面を知ることができるのだろうか。
私はできないと思う。
どれほど長くつれそった男女でも、それは同じことだ。
人の心の内側をのぞくことなど誰にもできない。
それにもかかわらず、人が他人のことを書くのは、自分の踊りを踊っているようなものだ。
その相手に対しての解釈という踊りである。
私は森瑤子という女性を知らない。会ったことなら何度もある。雑誌で対談をしたり、個人的な会話をしたりすることはあった。手紙をもらったこともあったし、本を出すたびに贈ってもらったりもした。彼女の書いた作品もいくつか読んでいる。
だが、そんなことは一人の人間の内面を理解したことにはならない。私たちは他人に対して、自分の思いを投影しているだけのことなのだ。
一枚の写真がある。英国の古典的なスポーツカーであるモーガンのボンネットに片手をついて、ほほえんでいる女性と、白いドライビングジャケットを着、ハンティングをかぶった男性の写真だ。彼女は黒い毛皮の帽子を目深にかぶり、ちょっと斜めのほうに視線を向けて微笑している。