さて、準優勝の思い出は……! 思わせぶりなフリのあと、わたしが適当につけたラジオネームが呼ばれた。ひしゃげたハンドルが、カシャンと小さく音を立てた。

 小学校一年生の、夏休み。わたしは母と一ヶ月ほどの旅をしました。母の愛車の赤い自動車の後部座席に、タオルケットや着替え、お気に入りの絵本と夏休みのドリルを詰めての出発でした。どこに行くのと訊くと、行ってみたい場所をひとつ言ってごらん、と言うのです。そこに行けばきっと、次に行きたいところができるよ、と。
 最初は海水浴場、次が温泉でした。海水浴で日焼けした肌を労(いたわ)ろう、そんな感じで決まったはずです。連想ゲームのような、目的地を探しているような、とても楽しい旅でした。旅では、物静かで感情的にならない母が、よく笑い、怒り、泣きました。わたしの母のイメージは深い藍色で、その一色しか持たないひとだと思っていたのに、驚くほどにカラフルでした。カラフルな母とふたりで、たくさんの初めてのことをしました。川辺でバーベキュー、海を臨む露天風呂に浸つかる。目を瞠(みは)るような高級な宿に泊まったかと思えば、雨の海を眺めての車中泊。母の誕生日には花火大会がある街を探して、大輪の花火の下でお祝いをしました。花火の轟音に負けないように、喉の奥が見えるくらい大きな口を開けて「誕生日おめでとう、私!」と叫ぶ母の笑顔はとても綺麗でした。まるでお祭りのような、ワクワクが連続する毎日。夢のような、華やかな日々の終わりは、突然でした。
 夏休みも終わりごろのある朝、母と泊まっていた宿に、父と、同居していた祖母が現れたのです。険しい顔をしたふたりは母を責め立て、わたしはそこで初めて、母が父たちに何の了承も得ずにいたことを知ったのです。
 宿から家に帰るとき、わたしは父と祖母の乗ってきた車に乗りました。祖母が、わたしの手を離さなかったのです。お母さんがひとりになっちゃう、と心配するわたしに、母は自分の車で後ろからついていくから大丈夫だと言いました。だからあなたはお父さんたちと一緒にいなさい、と。その顔がどうしてだか藍色すら失っている気がして、不安でした。
 車内で母の文句を重ねる祖母や父に、とても楽しかったよ、と言いました。夢みたいな毎日だった。だから怒ったりせずに、母を許してあげてと。
 そして、後ろからついていくと言った母は、その日を境にいなくなりました。赤い自動車が我が家に戻ってくることは、二度となかったのです。
 母はどうして、わたしと旅に出たのだろう。あの一ヶ月は、一体何だったのだろう。夏が来るたびに、わたしはあの夏休みを思い出し、いなくなった母に問いかけています。あの夏休みはお母さんにとって何だったの、と。答えは、きっと永遠に聞けないのでしょう。



 キイキイと、自転車が鳴る。前回は動揺して満足に聴けなかったけれど、静かに耳を傾けている自分がいた。わたしの思い出は、あの日々はどこに流れていったのだろう。言いようのない寂しさを覚えながら、帰路についた。
 
 

<つづきは書籍でお楽しみください>

 

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