父は孤独死、結局母を看る羽目に
「私には《毒母》でも、孫には甘い。喫茶店では好きなものを飲食できるから、子どもたちもおばあちゃんの味方です。いくら母とのかかわりを絶ちたいと思っても、脅しや泣き落としで迫られると、こちらが根負けするんです」
結局は店に戻る羽目になった友加里さん。一方で、すでに結婚していた弟は夫婦そろってまったく実家に寄りつかない。そのまま月日が流れ、12年前、すでに女性と別れていた父が孤独死した。両親は離婚していなかったため、遺産や遺族年金を手にした母は店を畳んだ。ようやく離れられると安堵したが、現実はそう甘くない。
「しばらくして母は体調を崩し、入院しました。退院時に施設入所も考えましたが、本人は断固拒否。最初のころは『他人に家に入られるのは絶対イヤだ』と、介護保険の申請も拒んだくらい。弟はあてにならないし、気づけば自分だけが貧乏くじを引いていた」
老いてますます横暴な母を支えながら、やり場のない怒りと虚しさが押し寄せる。傷つけられ、利用され、今になってもまだ逃れられない。「我ながら情けないです」、友加里さんは小さく絞り出した。