誤った悩みには<ツッコミ>が必要

〈坂口恭平さんから斎藤環さんへ〉

僕は何も精神療法を勉強してません。一冊も読んでないと言った方がいいと思います。だからそもそも何も知りません。だからそのままだとうまくいかないはずですし、疲れてしまうと思いますが、今のところ、疲れは残ってません。

自ら躁鬱病を抱える坂口さんが「死にたい人の悩み」について思うこととは(写真:木村直軌)

もちろん、話をしたことによる体力の疲れはありますが、それはご褒美で近所のタイマッサージを受けてますので、それを受けられると思うと頑張れます。そして、自分が疲れたら、疲れたとはっきり言います。自己犠牲的ではまったくないと思います。何よりも話をしていて、楽しいと思うことの方が多いです。

それは僕がもともと取材やフィールドワークをしていたという経験があるからでしょうか。人の話を聞いていることは聞いてますが、それはどちらかというとフィールドワークをしているということに近いのかもしれないとは時々思います。興味本位でやっているつもりもないのですが。

僕は基本的に、悩みなんか鬱状態の混乱が巻き起こしているだけで、ほとんど全て解決可能だと思ってしまっているところもあると思います。一人で考えている限り、その誤った悩みからは逃げ出せません。だからツッコミが必要なんです。

横から突然、別の話をする必要があると思って、僕はわざわざ怒られるのも多少承知しながら、まったく別の話をはじめます。最初は生まれてから一度でも楽しいと感じたことをリストアップしてくれと伝えます。なんでもいいんですが、死にたいときは退屈です。欲望も何もありません。

僕はまったく傷ついていないように見えます。なぜだかわかりません。一人自殺した人がいて、去年の元旦にその話を聞いたのですが、その亡くなった女性からは、ずっといのっちの電話をやってください、楽しかったです、と言われたので、僕はやっぱりやめずにやろうと決めました。歪んでいるのかもわかりませんが、周りの人からはそんなふうに言われたことはありません。