力を振りかざしていた母が怯えている

再び母の声を聞いたのは、それから数年後でした。突然電話がかかってきて恐る恐る出ると、「死ぬのが怖い」と言うのです。聞けば、がんが見つかり余命1年と宣告された、と。

自分が一番上に立つことにこだわり、力を振りかざしていた母が、動揺して怯えている。正直驚きました。そしてふと冷静に思ったのは、これまでずっとわかり合えず平行線だった母と私の関係を、これを機に違う形へ変えていけるかもしれないということでした。

それから何度か、山形の病院まで見舞いに訪れました。途中からは認知症の症状も出始め、見るからに弱々しくて。家の中で誰よりも強かった人が、満足に身動きもできずベッドに横たわっている。その姿を見て、初めて「愛おしい」と感じました。

私を支配していた人が、子どものような、愛情を注ぐ対象になったのです。すると見える風景が変わったと言いますか。立場が逆転することで、今まで知らなかった母の側面が不思議と見えてくるようになったのです。

「母との関係を繫いでくれるものがあったら」という思いで購入した陶器の仏様(右奥)。毎朝、線香をあげて鈴を鳴らす(写真提供=小川さん)

ある日、ふらっとお見舞いに行ったときのこと。その頃には認知症がかなり進んでいたのですが、私が来たことにすごく驚いて、「これで帰りの新幹線に乗りなさい」と、100円玉や10円玉を手渡してくれたんです。

そのときに、「ああ、この人は本当にお金を大事にして生きてきたんだ。そんな大切なものを、最後に私に渡そうとしている」と感じたのです。クリスマスに1万円札をくれたのも、単に冷たかったのではなく、自分がもらって嬉しいと思うものを素直に考えて渡していただけだった。

そんな心境になれたおかげで、最後に母の病室を訪ねたときには、「ありがとう。親孝行、ずっとできなくてごめんね」と、これまで言えなかった言葉をなんとか口にすることができました。