作家になったのはあの母がいればこそ
今日、私がこうして物語を書いているのも、ある意味、母のおかげです。小学生の頃、日記を書いて次の日に先生に提出するという宿題があったのですが、ありのままに書くのはまずいと、幼いながら理解していた。
そこで、うんと脚色して物語の断片や詩を書いたのです。それに対して先生が感想をくれるのが励みになったし、空想の世界では現実を忘れて自由になれた。それが私の「書く」原点です。そういう意味では、もし母が普通の優しいお母さんだったら、私は作家になっていなかったでしょう。
生きているときは近寄りがたい存在だった母が、亡くなってからはずっと近くにいるように感じています。今は自宅の一角に小さな仏様を飾り、手を合わせてお祈りするのが日課です。
今になって思うのは、きっと母は私に愛されたかっただけなのだということ。私たちは求め合いながらもすれ違い、追っては離れ、乖離していった。早くに母の思いに気づいて認めてあげていたら、違う親子になっていたのかもしれません。かといって、天国でもう一度、母と娘として過ごしたいというわけではないけれど。(笑)
でも、「終わりよければすべてよし」。不思議なことに、亡くなってからのほうが母との関係がどんどん良くなっているように感じています。あの頃は、なぜ私だけがこんなに苦しい思いをするのだろうとじたばたしていましたが、今思うと、母との関係から培ったものは、すべて自分の栄養になっているような気がするのです。