「生き残ってしまった」という思い

私は2006年に膠原病という難病をいくつも発症し、2008年に確定診断を受けた時に医師から「5年以内に死ぬか、寝たきりになる可能性が高い」と言われた。漫画家なのに手が動かなくなり、やがて歩行困難に。着替えや食事も困難になり、2009年から2016年は休業状態だった。絵の代わりに歌を始めたものの、CDデビューの直後に筋肉の炎症が進んで声も出なくなった。1日の殆どをベッドの上で過ごし、「もう再起は不可能」と思っていた。

2006年、膠原病で入院しているころ

そんな私の前に今の夫が現れ、結婚。2013年には挙式と披露宴をした。今のように絵が描け、外国まで頻繁に行けるようになったのは、夫の献身的な介護と励ましのおかげだ。

けれど初めて渡仏した2017年には、夫も私も「外国できちんと暮らせるのだろうか」と不安に思っていた。それでも絵の勉強に行こうとしたのは、2015年に親友の川島なお美(女優)、千葉はな(歌手)、高山尚子(デザイナー)という3人の親友をがんで亡くしていたからにほかならない。

さかもとさんの結婚式で、親友の川島なお美さん(故人・右)と(撮影:大川直人)

3人とも実に優しくしてくれ、回復を願って励ましてくれたのに、突然がんになって、あっという間に亡くなってしまった。しかも、全員が死の直前まで、表現することを捨てなかった。

「自分が一番先に死ぬはずだったのに、生き残ってしまった」

最初に私を絵画へと突き動かしたのは、その罪悪感だ。文字通り命を削って最後まで表現者であり続けた友人たち(殊に川島なお美)の姿を間近に見て知っていたので、「手が動かないくらいで、『描けない』なんていっていられない、腕に筆をくくりつけてでも、描かないといけない」と思ったからだ。