手が腫れて傷み、一筆ごとに呻きながら描く

けれど川島なお美は、わたしには最後までがんだと告げなかった。どんどん痩せていく彼女に「大丈夫?」と聞いても笑顔で「平気。それより、とにかく未明ちゃんは絵を描かないとだめ。才能あるんだから、あきらめちゃだめよ。私だって頑張っている」と言ってくれただけ。実際はがんの末期で激しい痛みや腹水に耐えていたと知ったのは死後だった。しかし彼女はその見事な生き方を間近で見せてくれ、そして励まし続けてくれた。

さかもと未明さんが撮影した川島さんの遺影

彼女の勧めを胸に2016年から版画を始めたが、最初の頃は手が腫れて傷み、文字通り一筆ごとに呻きながら描いていた。しかし幸いにも吉井画廊という名門画廊からデビュー。報われた思いだったし、その時テーマにした「拉致被害者帰国への祈り」というテーマがから作られた「青い伝説」(作詞:さかもと未明/作曲:遠藤征志)という曲をバチカンの聖堂で演奏するという僥倖にも恵まれた。私も頑張ってはいたが、亡くなった友人たちが天から助けてくれたとしか思えなかった。

もちろん、主人の献身にも助けられた。

数ヵ月に1度のペースでフランスに行き始めた時も、主人は「人より寿命が短いだろうから、好きなことをしなさい、体力も限られているのだから、家事などせず、絵と歌にすべてのエネルギーを注ぎなさい」と言ってくれた。私は成人まで親とうまくいかず、芸術の道を阻まれて一切の勉強ができなかったが、そのハンディを補って余りある支援を肉親以外の人から受けた。

だからこそ、自分の表現を世界に届くものにしたかった。私が海外の展覧会に応募を決めたのは、自然なことだった。

不思議かつ幸運なことに、その後私は少しずつ回復していった。難病ゆえ完治はなく、今も薬がなければ動けないし、真夏でも冷蔵庫の中にいるように寒い。不正脈や疲労に悩まされているのは同じだが、命を削って表現して死んだ友のことを思えば何でもない。

さて、今私はフランスに渡り、先週はサロン・ドトーヌのベルニサージュに参加。そして初めての海外での個展の為に準備をしている。体力的にも「もう無理」と思うことの連続だが、その度に助けてくれる新しい友人が現れ、「まだ頑張れる」と励まされる。