中国では女物の衣裳と装飾品が相手をあなどる小道具に

もちろん、中国にも女装者はいる。そのことで歴史に名前をのこした男たちが、いないわけではない。彼らのことは、たとえば中国文学を研究する武田雅哉が、一冊の本にまとめている(『楊貴妃になりたかった男たち』2007年)。ただ、彼らのなかに英雄として語りつがれる人物は、ひとりもいない。

中国に『三国史演義』という歴史小説がある。3世紀の三国時代を舞台とする、一種の戦国絵巻である。おおよそ1100年後の元末明初にまとめられた。そこに、おもしろい逸話がのっている(第103回)。

ある時、諸葛亮と司馬懿は、たがいに軍勢をひきい対峙した。諸葛亮は、いっきに野戦で決着をつけようとする。しかし、司馬懿はひたすら防御をかため、陣地からでてこない。

しびれをきらした諸葛亮は、敵陣の司馬懿に手紙をおくっている。おまえは、女のようなやつだ。「男子の気概があるというの」なら「対決されよ」、と。そして、手紙には女性用の髪かざりと喪服も、そえていた(井波律子訳、ちくま文庫2003年)。

「孔明像」(一部)。平福穂庵筆、明治時代19世紀、紙本淡彩。出典:東京国立博物館/ColBase

女物の衣裳と装飾品が、相手をあなどる小道具になっている。いくじなしと見下すために、それらはとどけられた。おまえには、これがお似あいだというメッセージも、こめて。もちろん、実話ではない。小説家の羅貫中が、『三国志演義』に挿入した創話である。

これらのことだけから、すべてを判断するのは、ひかえるべきだろう。しかし、日本と中国では、英雄像のありかたが、ずいぶんちがうと思う。日本のヤマトタケルは女装姿で敵将を魅了し、隙をついて殺害した。だが、そういう物語を、中国の人びとが英雄伝として語りつぐことは、ありえない。かりに、似たような物語があったとしても。