日本と中国の英雄観のありようはずいぶんちがう
しかし、こういう言辞を、石母田への批判者は、だれひとり口にしていない。英雄視を否定する論客は、みな女装以外の理由をあげていた。ヤマトタケルは天皇制の側にくみしている。そもそも、4、5世紀の日本に民族的な英雄像はうかびあがるはずがない、などなどと。
石母田も、女装が英雄あつかいのさまたげになるとは、考えていなかった。この点は、石母田に賛同した学者たちもかわらない。
ヤマトタケルには女装譚がある。英雄とみなすには、その点がひっかかる。しかし、数かずのヒロイックな事跡が、ないわけではない。このさい、女装の伝説には目をつぶろう。やはり、彼は英雄であったということにしておきたい。とまあ、以上のように話をすすめた論客も、まったくいなかった。
けっきょく、日本の研究者たちはヤマトタケルの女装譚を、きらっていない。英雄として語りつがれるにふさわしくない逸話だと、強くは思っていなかった。女装でのだましうちは、英雄の名をけがす。汚点になるというふうには、あまり考えなかったのである。
英雄時代論争をふりかえる文章は、たくさんある。さまざまな研究者がそれぞれの立場で、論争の経緯をおいかけてきた。だが、彼らもまた、この問題にふれようとは、していない。ヤマトタケルの女装を、あの論争は問題にしなかった。と、そう書きとめた論争史の読みものだって、ひとつもない。
中国的な価値観にたてば、その点はいぶかしがられてしかるべきだろう。女装者を民族の英雄にしてもいいのか。しかも、その女装者は同性の男をたぶらかしている、と。だが、日本の英雄時代論争は、そこを気にとめない。議論への参加者が、女装の英雄に違和感をいだくことは、なかったのである。
日本は、中国から多くの文化をうけとった。同種同文、一衣帯水と、たがいの近さをはやす評語もある。だが、英雄観のありようは、ずいぶんちがう。女になりすまし敵をゆだんさせ、息の根をとめる。かたほうは、そういう行動に、英雄としての瑕疵(かし)をみとめない。しかし、もういっぽうには、重大な欠陥を見てとる傾向がある。