日本の学界では女装にかかわる反発はおこらなかった

かつて、日本の学界では、いわゆる英雄時代をめぐる論争がくりひろげられた。敗戦後の1940年代末に、それははじまっている。1950年代のなかごろまでは、つづけられたろうか。そして、ヤマトタケルをどう位置づけるかという問題も、論戦をつうじ議論の的になった。

ひとつの民族が原始的な呪術の世界からぬけだし、統一的な国家を形成する。英雄時代だとされたのは、そこへいたる過渡期である。まだ、権力機構は整備されていない。だから、各地の豪族が民族の形成へむけて、英雄的な活動をくりひろげうる。その可能性がありえた時代だと、当時はしばしば語られた。

提唱者の石母田正は、『古事記』のヤマトタケルを代表的な英雄にあげている。「英雄ではあったが孤立した英雄であった」。「浪漫的英雄である」。そんな評価を、「古代貴族の英雄時代」という論文で、下している(『論集私学』1948年)。

石母田の議論は、ヘーゲルの美学やマルクス主義の範疇論に、およんでいる。戦後左翼の政治闘争とも、無関係ではありえない。その全体を、過不足なく解説するのは、私の手にあまる。だから、くわしい説明ははぶく。ここでは、ヤマトタケルが英雄時代の象徴とされたことだけを、確認しておこう。

もちろん、石母田には反論もよせられた。ヤマトタケルに関しては、彼を王権側の走狗とみなす批判が提出されている。ヤマトタケルは国家形成以前の混沌を、生きていない。権力機構にくみする人物であり、英雄時代の英雄ではなかった。以上のような否定説が、論じられている。

ただ、ヤマトタケルの女装にかかわる反発は、おこらなかった。クマソの前で女になりすます。それが、英雄にふさわしい振舞であったとは、思えない。あんなのを英雄だともちあげることは、やめないか……。とまあ、そういった趣旨の反論は、論争中にただのひとつも浮上していない。

私のであった中国からの留学生は、口をそろえ、言っていた。女装で敵をとりこにする男が英雄だなんて、とんでもない。そんなのは、まっとうな人間のとる途じゃあない、と。中国の文化圏でそだった男女は、反射的にそう考えてしまうようである。