「たくさんの方に〈おめでとう〉〈勇気をもらいました〉と、声をかけていただいて……。いまだに不思議な気持ちです」(撮影=大河内禎)
東京パラリンピック自転車競技のタイムトライアルとロードレースで2つの金メダルに輝いた杉浦佳子選手。50歳での金メダル獲得は日本人最年長記録でもあり、一躍注目を浴びました。自転車レース中の事故により障害を抱えるも、再び自転車に乗ることを選んだ杉浦選手のこれまでの道のりは(構成=平林理恵 撮影=大河内禎)

10年ごとに掲げた目標

金メダルを取って何よりうれしかったのは、こんなにも喜んでくれる人がいるということ。実業団で自転車競技をやっている息子と、事故当時からずいぶん心配をかけてしまった娘の笑顔、コーチたちのあんなにうれしそうな顔も初めて見ました。たくさんの方に「おめでとう」「勇気をもらいました」と、声をかけていただいて……。いまだに不思議な気持ちです。

自転車に出合ったのは、30代の頃。もともと体を動かすのは好きでしたが、大学に入ってからは特にスポーツはしていませんでした。

私は静岡県生まれ。祖母も母も薬種商だったので、大学は自然と薬学部を選んだのですが、入学後すぐに妊娠して退学することに。19歳で息子を出産しましたが、実際に子どもが生まれてみると生活が苦しくて。働くために資格を取ろう、と思った時に頭に浮かんだのは、母の姿です。私は薬剤師になるため、子育てをしながら大学に入り直すことを決めました。

赤ちゃんのお世話をしながらどうやって勉強したの? とよく聞かれるのですが、子どもが寝ている時しか勉強ができないと思うと、いやでも集中できて(笑)。むしろ高校時代よりも偏差値が上がったくらいです。

大学を卒業後、薬剤師として働いていた私は、28歳でフルマラソンに出合いました。ある日、ふと自分の二の腕を見たら、なんだかたるーんとしている。これはまずい、と思って通い始めたジムでフルマラソンのポスターを見たのがきっかけです(笑)。仲間にも恵まれ30歳になる直前、20代最後の記念に出場した初マラソンで、最後は歩きながらもなんとか完走。

私は、目標を定めてそれに向かって努力することが心地よいと思うタイプのようです。30代は目標を「宮古島トライアスロン完走」と定めました。その後、すぐに長女を妊娠したので、本格的に練習を始めるのは数年後になりますが、38歳で宮古島トライアスロンを制限時間ギリギリで完走し、目標を無事達成しました。

そして40代、私は本気でトライアスロンに取り組もうと決意。スイミングスクールに通い、パーソナルコーチをつけ、世界選手権出場を目標にしたのです。