B29と原子爆弾
吉田邸ではちょうど、憲法草案の検討が行われている最中だった。そこへ突然、アメリカ側が完成案を持ち込んだのだ。
吉田外相、憲法調査委員会の委員長である松本丞治博士、通訳の白洲次郎らは愕然とする。
そしてその頭上に突如、轟音が響いた。
低空飛行するB29の音である。
ホイットニーらの訪問からきっかり10分後に飛来するよう、手配してあったのだ。
さらに吉田邸の美しい庭を眺めながら、ホイットニーはきわめて恐ろしい冗談を口にする。
「われわれは、戸外で原子力の起こす暖(=太陽の熱)を楽しんでいるのです(We are out here enjoying the warmth of atomic energy)」
B29による空襲とヒロシマの原爆をかけあわせた警告に、アメリカの強固な意志が現れていた。
その後、この草案をめぐっては激しい綱引きが行われるが、同月22日にはほぼ日本政府に受け入れられる形となる。
草案はすぐさまワシントンの「極東委員会」に提出され、4月3日、天皇の不起訴が決まった。
2月13日に提示されてから2カ月、すべてがギリギリの進行だった。
そしてこの間、ケーディス大佐と、日記の主である子爵夫人が出会っているのだ。
当時の日本の内閣書記官長は、情報収集のため、GHQの高官を招き夕食会を催していた。子爵夫人はホスト側の応援として呼ばれていたのである。