「論語と算盤」、道徳と経済
しかし、改めて考えてみると、現在の令和日本において明治の実業家であった渋沢栄一が大河ドラマや新一万円札の肖像など、世間からこれほど関心を寄せられているのは何故でしょうか。
青天を衝くためには、上を向いて歩く必要がある。
もしかすると、このような潜在的な意識が日本社会で広まっているのかもしれません。
およそ500の会社および600の社会的事業の設立に関与した渋沢栄一が提唱したのが「論語と算盤」、道徳と経済が合致すべきという考えです。
「ぜひ一つ守らなければならぬことは、前述べた商業道徳である。約すれば信の一字である。」(【論語と算盤】道理ある希望を持て)
ただ、道徳「論語」と商業「算盤」は相容れない関係に見えます。道徳的な人物は金儲けなんて卑しい行為であると否定し、商業人は事業が慈善活動になるようでは金儲けができないと考えます。
しかし、栄一は「論語『か』算盤」ではなく、「論語『と』算盤」のライフワークを貫きました。でも、それは偉人渋沢栄一だからできたことであり、一般の人が相容れない関係性を合わせるなんてできっこない。このような反応が多いかもしれません。
本当にそうでしょうか。実は、私たち日本人は相容れない関係性を合わる『と』の力の感性が豊富であると私は思います。それに気づいてないだけなのかもしれません。
だって、日本人は「カレーうどん」を創り、親しんでいる民族ではないですか。
カレーはインドから発祥し、植民地の関係でイギリスへと渡り、おそらく海軍の関係で日本に持ち込まれたと思います。一方、うどんは麺類なので発祥の地は中国大陸で、様々のルートで日本に入って来たのでしょう。
まったく異なる文化の異分子を見た日本人は何をしたのか。同じ鍋に入れたのです。そして、ここが大事なポイントだと思うのですが、御出汁をちょっと加えました。
その結果、素晴らしい『と』の力を発揮し新しいクリエイションを創造した、と単純な私は思っています。一見、相容れない異分子を合わせて新しい価値をつくる「と」の力の感性をフルに活かせているから、B級グルメから超一流の高級料理まで、世界一美味しい料理が日本にあるのでしょう。