MeからWeへ。そしてその逆も
今回のコロナ禍で私たちは肌で感じました。いかにMe、自分や家族の健康を守ることが重要であることが。しかし、Meだけで、Weが分断されてしまうとMeが何もできなくなる。Weがきちんと回っているからMeの生活が成り立っているのです。
MeからWeへは決してMeの否定ではありません。MeからWeへ、そしてWeからMeへという循環が重要であり、それがSDGsの本丸である「包摂性」にもつながっていくのです。
去年10月に就任された岸田文雄総理は「新しい資本主義」を国家ビジョンとして掲げられ、「成長と分配の好循環」の経済政策を表明されています。『論語』が「分配」、『算盤』が「成長」と解釈しても良いかもしれません。
「新しい資本主義実現会議」の有識者メンバーに任命された私は、もちろん渋沢栄一の生まれ変わりでなはく、跡継ぎでもありません。単に数多い、栄一の子孫の一人であります。ただ、「新しい資本主義」のあるべき本質は、日本に導入された資本主義と同様に、社会を変革することだと思っています。
現在は日本の近代史上、重要な時代の節目を迎えています。人口動態の激変により、今までの日本社会が体験したことのない規模感とスピード感で世代交代が始まっているのです。今までの成功体験を作ってきた世代から、これからの新しい成功体験をつくらなければならない世代へのバトンタッチです。
今までの日本は、人口動態がピラミッド型の昭和時代ではMade In Japanという成功体験をつくり、ひょうたん型に変異した平成時代には米国などからのバッシングに対応するためにMade By Japan(貴方の国でつくります)という合理的なモデルにチェンジさせました。
しかし、それからおよそ30年を経て、日本は世界から素通りされるパッシングに陥りました。バッシングからパッシングへ。これが平成うべ日本の総括かもしれません。少なくとも、それまで築いた成功体験から、異なる時代環境で新たな成功体験へと進化するために必要なトランジション(変わり目)の時代が平成だったのでしょう。