未来志向による闘争心

ただ、日本人は食材に関して壁を立てることありませんが、生活や仕事の多くの分野で様々な壁が立ちはだかっています。つまり、せっかく日本人の特有である『と』の力の感性がフルに活かせていないのです。

特に「失われた」時代で自信喪失した日本では意気が委縮して、壁の内側で留まることでよろしいという意識が広まりました。だから平成は「バッシング」で始まり、終わる頃には日本が素通りされた「パッシング」になったのでしょう。

では、これからどうする。令和時代に日本社会にどのような心構えや生きざまが必要なのでしょうか。

渋沢栄一は道徳と経済が合致すべきと唱えたので、長年、『論語と算盤』は「やさしい資本主義」であると解釈される傾向がありました。ただ、実際、渋沢栄一が残した言葉を読み返しますと、利他への精神、社会のみんなためという意識が溢れている一方で、かなりの向上心や競争心を感じます。

栄一は怒っていました。その怒りとは、日本は、もっと良い社会になれるはずだ、もっと良い企業、もっと良い経営者、もっと良い社員、もっと良い市民になれる。現状に満足していない、未来志向による闘争心が常に沸き立っていたのです。

旧渋沢邸「中の家」(写真提供:埼玉県深谷市)

ちょっと原点に回帰してみましょう。日本初の銀行である第一国立銀行(現みずほ銀行の前身)を明治6年(1873)に創立したときに、その「銀行」という当時ではスタートアップの存在意義を『第一国立銀行株主募集布告』で日本社会にこのように示しました。

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銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝に溜まっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。折角人を利し国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない。
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「一滴一滴の滴」は微力です。一滴だけでは何もできません。しかし、それが寄り集まる流れになれば大河になれる。そして、大河になれば新しい時代を切り拓く原動力がある。「一滴一滴の滴は大河になる。」これが、まさに渋沢栄一自身が描いていた大河ドラマです。