美しいフェイク・ガールとして

『日本書紀』で、クマソの族長はヤマトタケルの女装姿にときめいた。「童女(をとめ)の容姿(かほよき)に感(め)でて」、ヤマトタケルをよびよせている。そこに、神威や霊験のかかわる余地はない。ヤマトタケルは、族長への接近を、一(いち)女装者として勝ちとっている。

『日本書紀』のヤマトタケルは、神にまもられていなかった。敵をうちはたすことができたのは、「容姿」のおかげである。フェイク・ガールとしての高い資質こそが、皇子には成功をもたらした。

『古事記』の当該部分にも、こうある。クマソの兄弟は、ヤマトタケルのなりすました「嬢子(をとめ)を見感(みめ)でて」、手まねきをした、と(岩波文庫 1963年)。このくだりを読むかぎり、事態は『日本書紀』とちがわない。『古事記』のヤマトタケルも、美しいフェイク・ガールとして、族長たちにちかづいた。

ひょっとしたら、『古事記』でえがかれたのも、そういう話だったのではないか。美少女に変身した皇子が、ルックスで敵をひきつけ、ゆだんにつけこみ殺害する。そういうくノ一(くのいち)めいた女装者の活劇を、『古事記』もあらわしていたのかもしれない。『日本書紀』の場合と同じように。

だが、その可能性を上代文学の研究者たちは、考えようとしない。『古事記』で女装をしたヤマトタケルは、神威をおびていた。皇子のクマソ殺害は、聖なるものの霊験譚となっている。以上のように、神秘めかした語りばかりをくりかえしてきた。

『古事記』のヤマトタケルは斎宮のヤマトヒメから、女物の衣裳をもらっている。アマテラスに奉仕する巫女からさずかった装束で、少女のようによそおった。この一点にすがり、研究者たちは超自然的な感応だけを読みとってきたのである。神の加護をたまわる話だ、と。