やはり女装者による暗殺のシーンがほしかったのでは
『古事記』では、火打石のはいった袋と草薙剣(くさなぎのつるぎ)をてわたしている。それらは、両方とも神威をおびた品として、えがかれた。その点は、クマソ遠征でゆずられた女の装束とちがい、はっきりしている。
東征へおもむいたヤマトタケルは、相模で火攻めをしかけられた。だが、それも袋の火打石と草薙剣で、しりぞけている。お守りとしてもらった火打石などのおかげで、一命をとりとめた。この場面は、まちがいなく霊験譚になっている。
『日本書紀』のヤマトタケルがうけとったのは、草薙剣だけである。だが、こちらも、火攻めにたいしてはマジカルな力を発揮した。剣はかってに皇子の手元からとびだし、あたりの草をなぎたおす。おかげで、火の海に退路がうかびあがり、ヤマトタケルはにげおおせることができた。『日本書紀』の「一書」には、そうある。これも、霊験譚だとみなしてよい。
伊吹山でヤマトタケルは息たえたと、さきほど書いた。死因のひとつは、草薙剣を携帯しわすれたことにある。剣をもたない皇子は神の加護がえられず、落命した。『古事記』も『日本書紀』も、そういう構成になっている点はかわらない。ともに、剣の霊的なありがたさを語る話となっている。
おわかりだろうか。神威のとうとさを強調する。そのために物語のなかへもちこむ小道具は、剣や火打石でもかまわない。じじつ、東征伝説ではそれらがつかわれた。ヤマトヒメからさずけられる品は、女の装束でなくてもよかったのである。
にもかかわらず、クマソ遠征にさいし『古事記』の斎宮は、女物の服装をあたえていた。おおしい戦士の服ではなく、少女のよそおいをさずけている。やはり、女装者によるくノ一めいた暗殺のシーンが、ほしかったからだろう。神威や霊威による解釈を語るだけで、ことをすますわけにはいかないと考える。
宣長いらいの一般通念をくつがえす。私がそこに使命感をいだく理由は、まだある。さらに重大な、第三、第四の立論も用意している。次回以後をたのしみにまっていただければ、うれしく思う。