息子とスーパーの試食を何周も

父は札幌で事業を大成功させていました。物心ついた頃には、わが家には常に住み込みのお手伝いさんが何人かいて、私は自分で着替えたことがなかった。その実、家庭環境は劣悪でした。

ラテン歌手でもあった父は、娘の私から見ても色っぽい人で、フリオ・イグレシアス超えと言われるほど。ただ、ほとんど家にはおらず、平たく言えば愛人問題の絶えない人だったんです。母は父を狂おしく愛していたので、子育てなんかそっちのけでジェラシーに翻弄され、いつも修羅と化しておりました。

成金ですから浮き沈みは激しくて、子どもの頃、夜逃げも経験しています。だからお金で人様に迷惑をかけることはするまいと、父と母の激しすぎる金遣いを反面教師として生きてきたわけです。

20歳のときに映画でデビューしたものの、女優という仕事に魅力を見出すことができずにいて、これからというときに芸能界から逃げるように、医者の卵だった男性と結婚しました。息子を出産しましたが、彼は育児にまったく協力せず、どこにいるのかもわからず、当然、お金もなくなっていきました。

当初は私の貯金を取り崩していましたけれど、やがて底をつき、家賃は半年滞納。ベビーカーも買えない。両家の親の反対を押し切ったので頼れる人もいません。本当に若気の至りですよね。ほどなく離婚しましたが、約束した養育費が払われることはありませんでした。

まったくお金がなくなり、息子と2人きりになってよく通ったのが、家からバスで行く大型スーパーの食品売り場。週末になると試食販売が増えるのね。息子は売り場を何周もしては試食をもらって、販売員さんににっこり(笑)。かわいいから仕方ないね、と言って、何度も試食させてくれました。その後、事務所の社長に頭をさげて女優活動を再開しましたが、今思えばあれは楽しかったし、学びに満ちた、とても豊かな経験でした。

息子と生きるために、女優として成功しなければという思いで挑んだのが鈴木清順監督の映画『夢二』です。これがダメだったら芸能界を離れる覚悟でしたが、この作品で、女優の面白さを知ることができたのです。