「中学から大学まで撮り鉄だった。最初はSL(蒸気機関車)を追いかけて駅のホームで撮っていた」(写真提供=相原さん)

SLを追いかけ北海道まで

中学から大学まで撮り鉄だった。最初はSL(蒸気機関車)を追いかけて駅のホームで撮っていた。

高校生になりアルバイトができるようになり、お金を貯めてSLを追いかけ北海道まで撮影に行った。当時すでにSLは北海道と九州にしか残っていなかった。ローカル線で1日待っても2~3回しか撮れないのは当たり前だった。

長い待ち時間。多くの撮り鉄の人は漫画を読んだり、おしゃべりをしたりしていた。北海道のローカル線でSLを待っていたとき、ディーゼル機関車(DL)の列車がやってきた。北海道の広大な風景に、赤いディーゼル機関車、かっこよく見えたので僕は撮影した。

するとSL待ちの撮り鉄の多くが「えっ!SLがなくなる元凶のDLをお前は撮るのかよ」と文句をいってくる人もいた。鉄道を撮って良いものと悪いものに分けるという発想に僕は驚いた。でもめげずにSL撮影の合間に電車や新幹線も撮った。

また待っている間に、ローカル線の駅の人のドラマ、あるいは線路わきの何気ない風景にもカメラを向けるようになった。当時のネガフィルムを見ると、意外とSL以外のものがたくさん写っている。SLが全廃になったとき、多くのSLファンは撮るのをやめてしまった。