家内は九州・福岡のお医者の家に生まれて、芝居とはまったく関わりのない育ち方をしてきました。それがたまたま慶應義塾大学の受験で上京して、発表を待つまでの間に私の『蒼き狼』を母親と観たんですね。
たとえ大学に落ちたとしても、この芝居が観られたのだからいいと思うほど感動した、と言ってました。芝居には素人であることがかえって幸いして、彼女の良し悪しの判断はとても参考になる。頼もしい存在です。そうね、この結婚が第二の転機かな。
それで12月に結婚して、その翌年すぐにブロードウェイに行くんですが、ハネムーンどころではない。武者修行新婚旅行でした。向こうはずっとソワレでしたから、夜の8時開演で、帰るともう疲れ果てて、ベッドに倒れ込むと、目が覚めるのが翌日の午後4時。それからセントラル・パークで少しぼーっとして、劇場へ、なんてこともありましたからね。
このとき私に英語の台詞を教えてくれたのがドムポムスという人です。私の父(初代白鸚)はブロードウェイの役者に歌舞伎を教えに行ったことがあるんですが、そのとき『勧進帳』の弁慶をやった役者が彼なんですよ。これもご縁だと思いますね。
その後、海外では約20年後の平成3(1991)年、ロンドンのウェストエンドで、『王様と私』を英語で上演しました。これは207ステージあったかな。半年くらい。ちょうど湾岸戦争のころでした。で、毎日、戦争のテレビ中継をやってましたね。
そんなとき、家内は11月末に父親を亡くすんですが、エジンバラでの初日を控えた私には、危篤状態のことなど何も話しませんでした。12月になって、バーミンガムでの公演の間にクリスマス休暇が2、3日あったとき、ようやくとんぼ帰りでお線香を上げに帰ったわけですけどね。
こうして振り返ると、人生悲喜こもごもですけれども、自分のあるべき姿のために戦う心、それだけは見失いたくないな、という気がしますね。