ニューヨークのブロードウェイで『ラ・マンチャの男』に出演した際の白鸚さん(中央)。全編英語で演じた(70年・写真提供◎松本白鸚さん)

私たちの母は初代吉右衛門の一人娘でした。幼いときから父・初代白鸚のお嫁さんになりたいとずっと思ってて、結婚したら必ず息子を二人産んで一人を播磨屋の跡継ぎにするから、と言って、許しをもらった。ですからわれわれ兄弟は、母が思いを遂げるための犠牲者ですね(笑)。よく言えばキューピッドかな。

子どものころは二人で芝居ごっこをしてよく遊びました。『盛綱陣屋』なら、私が主役の盛綱で、弟は首実検される生首とかね(笑)。そのころ久我山に住んでまして、道に車もあまり走ってなかったので、「野崎」の送り(『新版歌祭文』野崎村の段)を口三味線で歌いながら、手作りの駕籠をかついで、二人してご機嫌で道中してね。このところ、弟との思い出が次から次へといっぱい浮かんできましたね。

『王様と私』に話を戻しますけど、私は22にして思いましたね、歌舞伎役者としてミュージカルをやる以上は、きっといつかブロードウェイまで行って、英語でやってやろう、と。思うだけは思ったんです。

**

――その思いは早くも26歳にして実現する。昭和45(1970)年、世界の主演者からベスト8を招くドン・キホーテ国際フェスティバルに選ばれ、アジアでは唯一、そして最年少の主役となる。ブロードウェイのマーティンベック劇場で、3月から5月までつとめたステージはもちろん英語。

そしてその前年の12月、このアイドルスターと、今も美人の誉れ高い藤間紀子さんとの結婚が大きな話題となった。