神託に従い、新羅へみずからのりこんだ神功皇后

つづいて、後者、神功皇后のほうへ話をうつす。第14代天皇である仲哀の皇妃だが、その行動に目をむけたい。

夫の天皇が、九州北部へ巡幸をした時のことである。同行した皇后は、神懸りを体験する。彼女によりついた神は、朝鮮への出兵をうながした。新羅の国をせめろ、と。

この神託から耳をそむけた仲哀天皇は、時をおかずになくなった。おどろいた大臣の建内宿禰(たけのうちのすくね)は、あらためて神おろしの場へでかけている。そこで神の声を聞きながら、問いただした。あなたは、誰なのか、と。たずねられた神は、こたえている。「こは天照大神の御心ぞ」、と(岩波文庫 1963年)。

神託の意図は、アマテラスの志にねざしているという。その指示にしたがって、神功皇后は海をこえ軍をひきい、新羅へみずからのりこんだ。また、彼国を占領してもいる。これも、アマテラスの神通力を、かがやかしくえがいたくだりだと言ってよい。

以上のように、『古事記』は「中つ巻」でもアマテラスの名をあげている。神武や神功皇后の指南役めいた役目を、彼女にはあたえていた。神威を発揮する女神としての位置づけは、たもたせたのである。

『古事記』の編者にも、執筆上の制約はあったのだろう。神武の快癒という話から、アマテラスの助言ははぶけない。神功皇后が新羅遠征を決断する場面でも、女神の意志表示は不可欠のエピソードになる。どちらの成果も、彼女の神慮にもとづくと、はっきりしめさなければならなかった。「天照大神」の名を明示したのも、そのためであろう。