おさえきれない通説にたいする違和感

さて、『古事記』のえがくヤマトタケルのクマソ遠征である。この物語は、景行天皇の事績をしるすところに、おさめられている。第12代の天皇で、年代的には、神武のそれより新しい。神功皇后とくらべれば、古いところに位置している。いずれにせよ、「中つ巻」にふくまれる物語のひとつとなっている。

しかし、そこにアマテラスの名はでてこない。女神が夢告や神託をつうじて、ヤマトタケルに語りかける。あるいは、叔母であるヤマトヒメへ、メッセージをつたえる。そういうアマテラスから言葉がとどく展開には、なっていない。『古事記』の字面をなぞるかぎり、話は女神とかかわりなくすすめられている。

ヤマトタケルがクマソ征伐に利用した女装用の装束は、ヤマトヒメからゆずられていた。そして、ヤマトヒメは伊勢神宮で斎宮になっている。アマテラスをまつる神社で、巫女の役目をになっていた。そんな叔母からおくられた衣裳には、女神の想いもこめられている。以上のようにおしはかることも、不可能だとは言いきれない。

じじつ、『古事記』の読み手たちは本居宣長以後、そう解釈しつづけた。ヤマトタケルのはおった女服は、アマテラスの神威につつまれている。その加護をうけて、皇子はクマソをだしぬくことに成功した。『古事記』の当該箇所は、その霊験譚になっている、と。

だが、どうだろう。『古事記』の編者は、アマテラスをことほぐべきくだりになれば、その名をだしていた。「天照大神」と明記しつつ、女神の霊力をしめしている。女神が神武や神功皇后の活動をあとおしした時の叙述は、そうなっていた。

そして、『古事記』はヤマトタケルのクマソ征討譚に、「天照大神」の名をしるさない。だから、どうしても疑問をいだいてしまう。ほんとうに、そこで編者はアマテラスの威光を、あらわそうとしたのだろうか、と。女神の神通力なら、その名は書かなくても読み手につたわる。そう書き手が見きわめたと断定できる根拠は、どこにあるというのだろう。

くりかえすが、女装の衣服はアマテラスにつかえる巫女からさずけられた。そこに、女神の神威をうかがう余地はある。しかし、その霊験を『古事記』が明白にしめしていたとは、言いがたい。少なくとも、「天照大神の御心」を明記した箇所とくらべれば、あいまいになっている。

それでも、神威のまわりくどい暗示は考えられていたのかもしれない。衣服の贈与という迂回路をたどって、女神の霊力をほのめかす。そういう婉曲表現、読み手ににおわせる叙述が、たくまれていた可能性はある。

かりに、今のべたような思惑を、『古事記』の編者がいだいていたとしてみよう。女装譚の裏面には、アマテラスの力を、こっそりしのばせる意図があったのだ、と。しかし、そう仮定してもなお、私は通説にたいする違和感がおさえきれない。