「私は誰よりも彼の前にいるときに、自分らしくいられました。結婚生活を通してずっとそうだったのです」

「ママの願力で秋ちゃんを治してみせるから」

そんなふうに過ごすうちに12月になりました。ちょうど施設に入っている96歳の私の母が、股関節を骨折して全身麻酔で手術することになったのです。私は夫の病院と自宅の往復以外はできないと言われているなか、病院の感染対策本部に何度も頼み込んで、母の手術の前に10分だけ面会させてもらいました。

母は認知症なので、夫ががんだと伝えてもいつも忘れてしまうのですが、ふいに「秋ちゃんは、元気?」と。私が「食道がんで肺炎になって、すごく悪いの」と伝えると、思いもかけない言葉が返ってきたのです。「こんちくしょう! 大丈夫よ、美智子ちゃん、ママの願力で秋ちゃんを治してみせるから」って。私はおいおい泣きました。

夫のほうも入院中いつも明るくて、ユーモアを忘れなかった。私たち、病室で毎日2ショットの写真を撮り続けたんですよ。彼は最後の最後まで、寝ながらでも変顔をして笑わせてくれました。私は誰よりも彼の前にいるときに、自分らしくいられました。結婚生活を通してずっとそうだったのです。彼は誰に対してもそういう人だったと思います。

12月18日、コロナ対策で普段は終日病室から出られませんが、その日は用事があって許可をもらい、昼間に一度、家に戻りました。リビングのドアを開けてもうびっくり。部屋いっぱいに光が降り注ぎ、観葉植物のグリーンがキラキラと輝いていたのです。

夫が就職したときに買ったゴムの木、結婚祝いにいただいたベンジャミン……ああよかった、この子たちは私たちが暗闇にいても光を浴びて、しっかり生きている。ベランダに目をやると、寒さのなか深紅のバラのつぼみがふくらみかけているのに気づきました。花が咲く頃、絶対夫はよくなっているはず。そう確信して家を後にしました。