全身ゴージャスに…は無理でも

ただ、その動物のイラストTシャツは、『anan』で見つけて買ったモノ。自分なりにオシャレしていたつもりだったので、いつもは大声で威張ってばかりいた師匠から、遠慮しがちに小声で注意されたときは、センスまで疑われたのかと、とてもショックを受けました。今でもそのTシャツの柄を鮮明に覚えているくらいです。

でも、その他は、どんな服を持っていて、どんな組み合わせで出かけていたのか。全く思い出せません。

仕事ぶりについては以前書かせていただいたとおりです。情報誌の定例ページ執筆のために、ランチ前にレストラン取材に行き、外壁に原稿用紙を這わせてテレビ番組のナレーション原稿を書き、お店に頼み込んでテレビ局にFAXを送らせてもらい、午後は取材や会議。夕方から深夜(時には明け方まで)出版社に籠って雑誌の原稿を書いていたアノ頃。

学生時代は必死にバイトをしていたし、リポーター時代は実家住まいだったため、お給料はすべてお小遣い。第一次ブランドブームも相まって「ディオールのバッグ」「グッチのベルト」「セリーヌのスカーフ」「クレージュのニット」……などなど当時の持ち物がスラスラ出てきます。「元祖JJガール」なんて職場でからかわれていた頃もあったのです。

ポイントになるオシャレを心掛けたい

それが、いつしか仕事にかまけてオシャレではない人の代表に……。

とても悲しかったのですが、だからと言って、「えいやッ」とオシャレに目覚めたワケではありませんでした。そんなことよりも、放送作家として、ライターとして、上を目指し、「元夫と元夫の勤務先の人たちを見返してやろう」ということばかりを考えていた頃。いまより10キロぐらい太っていたこともあり、買い物はもっぱらLLサイズの安売りショップでした。

そんな私に再びオシャレをする愉しみを教えてくださったのが、冨士真奈美さんでした。無論、私は女優ではありませんし、基本は裏方です。が、たまにテレビに出たとき、「今日のブローチは、どこのですか?」とか、「今日のスカーフ、素敵でした」などとSNSにコメントをちょうだいするときは正直、嬉しくなります。

全身ゴージャスに…は無理ですが、一つか二つ、ポイントになるオシャレをすることは、特に、こんな時期には必要なのではないかと。年齢を重ねてきたらなおさらでしょう。

一日も早く、クローゼットで服を選び、自分なりのオシャレをして、思う存分、出歩ける日がおとずれますように。


前回「テレビの神様、永六輔さんの思い出。私の胸に刺さった永さんの言葉〈御礼状も書けない忙しさは、恥ずかしい忙しさ〉」はこちら