今注目の書籍を評者が紹介。今回取り上げるのは『田辺聖子-十八歳の日の記録』(田辺聖子著/文芸春秋)。評者は女優で作家の中江有里さんです。

作家はなぜ日記を書くのか

大人になってしばらく書評日記を書いていた時期がある。読んだ本のことだけでなく、行った場所、会った人、感じたことなどの記憶を記録しておくのは楽しかった。こんなことならもっと若い時から書いておけばよかった、と思う。

本書は作家になる前の田辺聖子、十八歳のころの日記。

田辺が亡くなって半年過ぎてから見つかった日記は、昭和二十年四月から始まる。前年に樟蔭女子専門学校に入学したが、まもなく勤労動員が課され、工場へ動員された。

「文学少女」で「軍国少女」である純粋さが隅々にあらわれ、家族や学友たち、一人一人のちょっとしたしぐさや言葉、性格などへの視線が鋭い。

噓つきで人の物をすぐに拝借する学友Oについて長々と糾弾する。Oがこっそり田辺の日記を読んでいることを知って「Oよ、是非ここを読みたまえ」と綴る。直接ではなく、文章で訴えるのが田辺聖子である。

六月一日の大阪大空襲の前後で田辺の人生は激変する。家が全焼し、買い集めた本はもちろん田辺家はほぼすべてを失ってしまった。

自らが悲惨な状況にあっても、焼け落ちた町や死者の姿を戦場カメラマンが写すように、田辺はその目で見た光景を書き写す。

七月十六日、「私は疲れて何を書く元気もなく」と書き出す短い文章ですら自身の記録となり、その数日後には「料理おぼえ書」を記す。いくつかの習作もはさみながら、小説を書く才能があるかと悩む。若き日の波のような感情の揺らぎも物語となっている。

日本には古くから日記文学というジャンルがある。彼らは何のために日記を書くか? それは記憶を記録するためで、後世に残すためだろう。

Oが読むのを待ったように、誰かに発見されるその日を待っていた。田辺聖子は十八歳にしてすでに作家であった。