物語のなかでの草薙剣

話をもとへもどす。

剣をヤマトヒメからもらったヤマトタケルは、これを東国戦線へともなった。そして、さきほどもふれたが、熱田でおきわすれている。皇子もそのため、命をおとすこととなった。この地にのこされた草薙剣を御神体として成立したのが、熱田神宮である。

スサノオが出雲で見いだし、最後はヤマトタケルの遺品として熱田にまつられる。この伝説は、さまざまな変形をともない、後世の文芸にうけつがれた。

たとえば、『平家物語』や『源平盛衰記』が、草薙剣の物語を反復している。これらが主題とした源平合戦は、壇ノ浦の海戦で終了した。その時、この剣は海中深くしずんでいる。

剣の由来が、あらためてかえりみられるようになったのは、そのためだろう。その喪失こそが、『平家物語』などに、剣のいわれを語らせたのだと考える。

『太平記』もまた、剣の来歴をくわしく語っている。この物語は皇統が分裂した時代を、えがいていた。天皇制のゆらぎをあつかう文芸でもある。剣の伝説が挿入されたのも、そのためであったろう。そして、これらの軍記物は、剣を語る便宜のために、ヤマトタケルへ言及した。

室町時代には、草薙剣と熱田神宮に焦点をしぼった文芸も浮上する。能楽の『草薙』や『源太夫』が、その例にあげられる。御伽草子として読まれた『熱田の神秘』も、それらのひとつだと言ってよい。

つぎに、それぞれのあらましを、かんたんに説明しておこう。

平安時代に、恵心僧都(えしんそうず)とよばれる天台僧がいた。『草薙』は、その恵心が熱田神宮をおとずれる話になっている。

神社の境内で、恵心は花売りの年老いた男女とでくわした。聞けば、彼らは草薙剣をまもる夫婦、翁(おきな)と嫗(おうな)であるという。そして、クライマックスとなる場面では、翁のほうが自分の素性をうちあけた。

「我はこれ景行天皇第三の皇子、日本武(やまとたけるの尊みこと)」である、と。

さらに、そこへ地謡(じうたい)の文句が、こうつづく。「神剣を守る神となる、これ素盞嗚(そさのお)の神霊なり」、と(『謡曲大観 第二巻』1930年)。自分はスサノオであり、ヤマトタケルでもある。今は剣をまもる神になったと言うのである。