歴史の書きかたと文芸のありようのびみょうなずれ
日本史の通史叙述は、ヤマトタケルの西征を、ひかえめにえがいてきた。クマソを相手どった女装戦術には、言葉をついやさない。それよりは、草薙剣と東征を、大きくとらえやすかった。平安時代から江戸時代の歴史語りに、そんな傾向があったことは、説明ずみである。
漢文で歴史をつづる学者たちは、皇子の女装譚をあらわにしたがらない。できれば、かくしておきたく思う。歴史書が隠蔽をはかってきたのは、みだらな表記をつつしんだからである。前にものべたが、私はそう考える。
室町期までの文芸も、こういう歴史叙述の定型にならったのだろうか。東征や草薙剣を前面へおしだす文芸を見ていると、そんなふうにも考えたくなってくる。
だが、歴史の書きかたと文芸のありようは、かならずしも一致しない。両者のあいだには、びみょうなずれがある。
往時の日本通史は、ヤマトタケルへふれるさいに、西征より東征を優遇した。西征を黙殺する史書だって、なかったわけではない。女装譚は、基本的ににぎりつぶしてきた。
しかし、少なからぬ史籍は、西征にも言葉をついやしている。西日本のクマソや出雲をせめほろぼしたことも、書きとめた。関東や東海への遠征ばかりを、とりあげたわけではない。西征にも言及することは、ままあった。ヤマトタケルが女をよそおった話だけは、どの史書もふれずにすませたが。
こういう目くばりが、ヤマトタケルの登場する文芸には、欠落している。たとえば、『平家物語』や『太平記』は、まったく西征をかえりみない。草薙剣がでてくる東征だけで、ヤマトタケルの話を、くみたてている。
能楽の『草薙』や『源太夫』も、その点はかわらない。西征を語らないことでは、むしろ文芸のほうが徹底していたのである。