ヤマタノオロチを退治し、その体内から草薙剣を見つけるスサノオノミコト。「素戔嗚尊」(著:保積稲天 丸善)より。出典:国立国会図書館デジタルコレクション
英雄は勇ましく猛々しい……ってホンマ? 日本の英雄は、しばしば伝説のなかに美少年として描かれる。ヤマトタケルや牛若丸、女装姿で敵を翻弄する物語を人びとは愛し、語り継いできた。そこに見た日本人の精神性を『京都ぎらい』『美人論』の井上章一さんが解き明かす本連載。第15回は「聖剣伝説のかたすみに」。

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三種の神器としての草薙剣

草薙剣(クサナギノツルギ)は、皇位の継承におすみつきをあたえる宝物のひとつである。八咫鏡(ヤタノカガミ)や八尺瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)とともに、三種の神器と称される。これらをともなわずに即位をした天皇は、その正統性がうたがわれることもあった。

名古屋の熱田神宮は、そんな草薙剣をまつる神社として知られている。

記紀神話によれば、もともとこの剣はヤマタノオロチという大蛇の尾にひそんでいた。それをスサノオノミコトが出雲で退治し、体内からとりだしたことになっている。

剣を手にいれたスサノオは、これを姉でもあるアマテラスオオミカミに贈呈した。ゆずられた女神は、鏡と曲玉もそえて、孫であるニニギノミコトに、これをたくしている。そして、それらをたずさえ地上へおりたニニギは、天皇家の祖となった。天皇位の継承儀礼でつかわれる神器の三点セットは、この神話に由来する。

ただ、のちに剣と鏡は、伊勢神宮へ別置された。その神宝となっている。神宮に奉仕するヤマトヒメは、そんな秘蔵の宝剣を甥のヤマトタケルへあたえていた。東征におもむく皇子へのはなむけとして。

話が脇へそれるが、私はこのくだりに違和感をいだく。草薙剣は神宮の宝物である。その宝を、彼女の一存で甥への餞別にしてしまってもいいのか。しかも、その甥は、これから東国へ出征するという。

戦いに負ければ、剣は、現地に放置されるかもしれない。じっさい、それは尾張でおきざりにされた。やはり、贈与など思いとどまるべきではなかったか。

また、ヤマトヒメは神宮につかえる斎宮である。男子禁制を余儀なくされる立場に、その身をおいていた。男性との面会は、肉親の者もふくめ、ゆるされなかったはずである。ヤマトタケルとであうことも、つつしむべきであったろう。

なにか、とくべつな事情があって、皇子との対面や剣の恵与はゆるされたのか。しかし、記紀の記述に、それがまかりとおった理由の説明はない。斎宮とその甥が、神宮のしきたりを軽んじた振舞におよんでいた。そう読みとられかねない文章が、なんのわだかまりもなく書かれている。

この点で、記紀は神宮のことを、あなどっていたような気がする。神宮のならわしに、配慮をしていたとは思えない。こういう物語を、神宮側はきらったろう。前にも書いたが、もういちど強調しておきたい。記紀のヤマトタケル説話と神宮のあいだには、深い溝がある、と。ましてや、それが神官をことほぐ霊験譚であったとは、とうてい思えないのである。