『源太夫』の物語
『源太夫』でも、同じように一組の夫婦が熱田神宮へあらわれる。彼らはそこで、朝廷からやってきた勅使に、熱田の由来を聞かせている。熱田の宮は出雲大社につうじあうのだ、と。
以下に、そのいわれへ言いおよぶ夫婦の台詞を、紹介しておこう。
シテ「景行第三の皇子日本武の尊と申すは。東夷を平らげ国家を鎮(しず)め
ツレ「終にはここに地を占め給ふ。これ素盞鳴の御再来(同前)。
シテは夫で、ツレが妻になる。夫妻はたがいに調子をあわせ、言いつのる。神代には、スサノオとしてあらわれた。そんな神が、人の代にはヤマトタケルとなってよみがえる。劇中の二人は、スサノオとヤマトタケルを、以上のように同一人格として位置づけた。いや、同一神格と言うべきかもしれないが。
夫婦は終幕に近いところで、自らの正体もさらけだす。すなわち、自分たちはアシナズチであり、テナズチだ、と。アシナズチとテナズチは、記紀神話に登場するクシナダヒメの両親である。スサノオは、このクシナダヒメを出雲でヤマタノオロチからすくい、妻とする。つまり、スサノオの義父であり義母であると、二人は勅使につげていた。
出雲でスサノオに娘をたすけられた夫婦が、今は熱田にいる。草薙剣をまつる神社につかえ、くらしてきた。『源太夫』は、そんな筋立ての能楽にほかならない。
なお、父のアシナズチは、劇中で源太夫を名のっている。ねんのため、こちらの説明もしておこう。
ヤマトタケルは、尾張で源太夫という男の家に投宿した。同家の娘を見そめ、ねんごろになったとする説話がある。記紀のそれではない。のちに、ヤマトタケル伝説をふくらませた『平家物語剣巻』の筋立てである。
これを、室町期の『源太夫』もとりいれた。当時の観衆は、文芸の教養があれば、その名をヤマトタケルの義父として理解しただろう。