鎌倉室町期のヤマトタケル像は草薙剣の伝説とともにあった

もともとは、出雲でスサノオの義父になっていた。そんな男が、熱田ではヤマトタケルの義父として登場する。スサノオとヤマトタケルは、たがいにつうじあう。そう念をおすかのような設定だと言える。その点では、『源太夫』も『草薙』とかわらぬ構成になっている。

記紀神話のスサノオとヤマトタケルは、どちらも草薙剣を手にもった。その共通点に、後世の文芸も関心をよせたのだと言うしかない。ヤマトタケルは、あのスサノオが発見した草薙剣をあやつった。その記憶が室町期の能楽では、特権的に増幅されたのだと考える。

スサノオとの一体性が、しばしば語られたのも、そのせいであろう。ヤマトタケルをその再来として、想いえがく。このスサノオをめぐる神観念については、またあとでとりあげる。おぼえておいてもらいたい。

ともかくも、鎌倉室町期のヤマトタケル像は、草薙剣の伝説とともにある。そのイメージは、きょくたんに言えば剣のおまけめいた姿で、想いえがかれた。剣こそが主役であるかのようなあつかいを、うけている。

『熱田の神秘』は室町末期の御伽草子である。ここでは、色恋もふくむヤマトタケルの心模様が、語られている。あいかわらず、草薙剣をめぐるエピソードが、多くをしめてはいた。しかし、ヤマトタケルには、その携帯者という以上の役柄が、あたえられている。『草薙』や『源太夫』より、そのあつかいはゆたかになっていた。

だが、西征の物語は、以前と同じようにでてこない。物語は、やはり草薙剣を中心に展開されている。つまり、東征の伝説ばかりが、素材としてはいかされているのである。

女装譚もふくむ西征には、見むきもしない。草薙剣へ脚光をあてつつ、東征の逸話をくみあわせながら、話をすすめていく。そのありかたは、『草薙』や『源太夫』とかわらない。室町期までの文芸が、女装の場面へ興味をそそぐことは、どうやらなかったようである。