なぜ文芸家たちはヤマトタケルは剣に付随する人物としてえがいたのか

歴史家たちが、西征を眼中にもいれていなかったわけではない。彼らは、そこも気にとめたうえで、しかし軽くあしらった。あるいは、見て見ぬふりをきめこんでいる。

いっぽう、文芸家たちの好奇心は、もっぱら草薙剣へむかっていた。スサノオが見いだし、ヤマトタケルの運命を左右する。のみならず、皇統を象徴するシンボルとして、神格化もされていた。そんな剣をめぐる、一種の聖剣伝説を語りついできたのである。

だから、ヤマトタケルのことも、剣に付随する人物として、えがいてきた。聖剣の守護者、あるいは剣を介してスサノオにつながる人物だ、と。

ただ、室町末期に書かれた『熱田の神秘』は、やや様子がちがう。じゅうらいどおり、東征と草薙剣を物語の中心にすえてはいた。西征や女装譚は、ふせている。だが、恋をし、苦しみやよろこびをあじわう人間的な姿も、とらえようとしていた。

やがて、江戸期にいたり、こういう部分は、よりいっそう肥大化していくだろう。そして、西征の女装伝説を大きくふくらます物語も、書かれるようになっていく。

江戸幕府の公式史学は、じゅうらいどおり西征を軽視した。そのいっぽうで、文芸作家は、西征へ新たな光をあてはじめる。とりわけ、女装の場面で想像力をはじけさせるようにも、なっていくのである。

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