秘湯マニアの温泉療法専門医が教える-心と体に効く温泉

●垂玉(たるたま)温泉(熊本県阿蘇郡南阿蘇村)
与謝野鉄幹他『五足の靴』

「五足の靴が五個の人間を運んで東京を出た。五個の人間は皆ふはふはとして落ち着かぬ仲間だ。彼等は面の皮も厚く無い、大胆でも無い。而も彼等をして少しく重味あり大量あるが如くに見せしむるものは、その厚皮な、形の大きい五足の靴の御蔭だ」

『五足の靴』は明治40年に与謝野鉄幹が北原白秋、吉井勇、木下杢太郎、平野万里の4人を連れて九州を中心に約1カ月間旅行した時の紀行文である。

8月13日、阿蘇登山の前日、5人は熊本県の垂玉温泉「山口旅館」に宿泊し、

「高く堅固な石垣の具合、黒く厳しい山門の様子、古めいた家の作り、辺(あたり)の要害といひ如何見ても城廓である、天が下を震はせた昔の豪族の本陣らしい所に一味の優しさを加へた趣がある」と記し、旅行記は5人交互に新聞に連載された。

この後、この紀行を通じて得た着想を発展させて、北原白秋は詩集『邪宗門』、木下杢太郎は戯曲『南蛮寺門前』を発表した。

敷地内にはこの「五足の靴」の記念碑が建っている。また昭和9年には野口雨情も投宿し、その際詠んだ

「秋の紅葉は山から山へ阿蘇の垂玉よい眺め」の歌碑も建てられている。

さらにシーボルトが垂玉温泉について書き記した記事なども旅館内に展示されている。

垂玉温泉は阿蘇五岳の一つ烏帽子岳の中腹にあり、今から二百数十年前にこの地にあったと伝えられている「金龍山・垂玉寺」の修業僧によって発見されたと言われている。

与謝野鉄幹一行が宿泊した「山口旅館」は一軒宿で、創業は明治19 年(1886)、浴場は3カ所ある。窓越しの展望が素晴らしく、浴槽内に多量の湯の花が浮かぶ内湯大浴場「天の湯」、飛沫を上げる「金龍の滝」の脇にある混浴露天風呂「滝の湯」、男女入れ替え制の茅葺き半露天風呂の「かじかの湯」からなる。

温泉に浸かり、渓谷を眺めながら季節や自然を感じ、非日常のゆったりとした気分で時を過ごすことができる。

※本稿は、『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(中央新書ラクレ)の一部を再編集したものです。