時代が変わったとしても

わたしは自分の容姿に特別こだわるほうではないと思う。

青木さんの家族、元保護猫のシティとクティ。自宅にて(写真:青木さやか)

美しさとは、もともと持っている姿形よりも、姿勢をすっと伸ばすことや笑顔の積み重ねや心のあり方だろうと思うし、そうであってほしいと願っている。それに、美しさの基準は人それぞれ、きっと時代や国によっても違う、と願っている。

「わたしは容姿に、こんなコンプレックスがある」と人に対して言うことはできるが、「あなたの容姿は、ここがコンプレックスですね」と人に言われることはつらい。

同じことを指していたとしても大きく違う。

時代が変わったとしても、2010年に生まれたわたしの娘は容姿をとても気にしているし、Youtubeでは可愛い女の子たちがメイク術を披露している。

「ママ、この髪型、可愛い?」
「可愛いよ、とても」

「ママはなんでも可愛いって言うから」
「昨日も可愛かった、明日も可愛い」

「だから、そういうことじゃないから。いまの髪型のことだから」
「そうだね、可愛いよ」

「どこが?」
「どこって、ヘアアイロンで、すごいよ、丸まってる」

「丸まってるってなに?」
「毛の先が、ほら、丸く内側に入って、すごいです」

「そうだよ、ヘアアイロンでやったの」
「ヘアアイロンなんて使えないよ、わたし」

「ママはドライヤーも使ってないじゃん」
「そう。とにかく、とてもいいんじゃない? 早く出かけよう」

「ちょっと待って、やっぱり髪しばる」
「何分待ってると思ってるの!」

「あとちょっと」
「もう待てないって。だいたいママと近所いくだけだよ」

「誰に会うかわかんないから」
「会わないから」

「わからないじゃん」
「わからないですよ! 早くしてよ!」

「キレてる、ママキレてる」