人に何をどう言われたって笑っていられる余裕を持ちたい
娘は鏡に夢中である。
容姿は彼女の関心ごとのひとつであり、友人たちとの会話もそんな内容が多いだろう。
彼女が何かで傷つかないようにと願う。だけど生きていれば、いろんなことがやってくる。容姿だって、いじられるかもしれない。もし仮に傷ついたとき、それはそれねと健康な心で自己肯定できる力を持っていてほしいと、親として強く願う。
子どもを持って思うこと。容姿のことに限らずだが、たとえばある子が傷ついて泣いてしまったときに、何かを言ってしまった子に話を聞くと、
「傷つけるつもりはなかった」
ということがある。
遊びの延長だったのか、あなたも言ったからなのか、理由はいろいろと言った側にもあるのだが、相手が傷ついたことは確かなので、それに対してはごめんなさいだね、という状況を何度も見てきた。
人は繊細で、状況や体調で感じ方はかわる。
昨日はそのいじり方は笑っていられたが、心が疲弊していると泣いてしまうときもある。だからきっと、
「そんなことで泣かないでよ」
は、どんなときだって言わないようにしたい、と思う。
人には優しくしたい。
と、同時に、人に何をどう言われたって笑っていられる余裕を持ちたいと思う。
そしたら、きっと最強になれる。
※本稿は、『厄介なオンナ』(大和書房)の一部を再編集したものです。
『厄介なオンナ』(著:青木さやか/大和書房)
芸能界という世界の中で商品であるには、わたしはちょっと繊細すぎて、厄介であった。容姿いじり、飯島愛さんのこと、パニック症など珠玉のエッセイ。光浦靖子氏との対談「世間の目を気にして数十年生きてきました」収録。