戦禍で国が困窮していた時代にイランで生まれたサヘル・ローズさん。身寄りをなくして孤児院で育ち、養子縁組をした養母と8歳の時に日本にわたってきました(写真:講談社)
タレント活動のほか、俳優として舞台にも立つ、イラン生まれのサヘル・ローズさん。国際人権NGOの活動では親善大使を務めるなど、さまざまな分野で活躍していますが、戦禍で困窮していた時代に身寄りをなくし、4歳から孤児院で育ちました。養子縁組をし、8歳で養母のフローラさんと日本にわたったものの、長く貧しい生活を強いられたり、学校でいじめにあったりと大変に苦労をされました。そのサヘルさん、貧しさにあえぐ暮らしを経たからこそ、感じたことがあるそうで――。

ブツブツと口にしながら

『言葉の花束』という本を、読者の皆さんが目の前にいる気持ちで、ブツブツと口にしながら書きました(キーボードを打ちました)。今回その本から自らの経験についてお話ししたいと思います。

語り口のままに書いたので、日本の作文手法からは逸れているかもしれません。でも〈自分らしさ〉を気取らず正直に表現しようと思ったら、こういう文章になりました。今語れるすべてを文章に託しました。

章(bouquet)は、この本を渡したい相手ごとに書いています。私だけにデザインできる言葉のブーケにして渡し、誰かが笑顔になれれば、それが私の幸せです。

 

公園での生活

約30年前、日本にいる知人と住めることになって来日した8歳の私と養母のフローラ。しかし、その知人と同居できなくなり、フローラと私は家を出ることとなりました。そこからしばらくは大変な生活が続くことに。

とはいえ、そんな外国人親子を「察して受け容れてくれた」方もいました。

小学校に通うようになってから、実は一時期、公園で生活をしていました。真冬の路上生活は正直寒かったし、怖かった。

その当時の私は子どもだったので、よく状況が理解できていなかった。毎晩、いつの間にかフローラの腕の中で眠り、朝になったら学校へ。

「サヘル、学校へ行きなさい」「お母さんは工場へ行ってくるから。工場へ行けばわずかでも日給制でお金をもらえるから行ってくるね。夕方に私たちのこのベンチで待ち合わせ」と言われて、「わかった、帰ったときにはここのベンチで会おうね」と約束をして、私は学校に行きました。

公園のベンチに戻ると、フローラはその1時間後ぐらいには帰って来てくれて、ふたりで近所の図書館に行って、閉館になる夜8時まで図書館の中で暖を取っていました。でも8時を過ぎると出なければいけない。

なおかつ、夜には私もおなかがすごいぺこぺこ。「お母さん、何か買ってよ、おなか空いたよ。なんで夜ごはんを食べられないの」と言うと、「じゃあスーパーに行こうか」と、次はふたりで近所のスーパーへ。

なるべく数字が低い、桁が少ない値段のものを選んで買ってはいましたが、そういう品が見つからないときは諦めて帰るしかなかった。