記憶が蘇るほど、愛しい味

子どもというのは、今自分が苦境にあることを理解していても、誰かに「助けて」とは言えないものです。自分から、どうSOSを出したらいいかがわからないからです。

『言葉の花束-困難を乗り切るための“自分育て』(著:サヘル・ローズ/講談社)

でも子どもなりに一生懸命、モールス信号か何かのような様々な合図を出しています。それに気がついたときに、大人や周りの人たちが「大丈夫か」という一声をかけること、それが本当に必要な相手に対する思いやりだと思うのです。

給食のオバちゃんが「大丈夫か」と声をかけてくれたことで、説明する勇気が出せました。「パーク」というそのとき自分が使える単語を使って、実は今公園にお母さんとふたりでいる、ということを伝えられました。

「もう行かなくていい。うちにいらっしゃい」と言ってくれて、私たち親子のことを自分のおうちに泊めてくれました。実は給食のオバちゃんもシングルマザーで、彼女も女手ひとつで、自分の娘さんを育てていました。

状況は違えど、なんだか似ていた。

その後、給食のオバちゃんは自転車を買ってくれたり、絵本や、お洋服なども。オバちゃんの生活も楽ではないのに本当に自分の子どものように家族のように親身になってくれました。

そして、シャケと納豆とだし巻き卵をよく作ってくれました。今でも会いに行くと、このメニューを作ってくださるのですが、味付けはだいぶ濃くなっています。でもあの記憶が蘇るほど、愛しい味です。